2007年12月24日

2つの源流

いまのような外国人をまじえた集まりや国際交流をやりだした源流をさかのぼれば
2つあるかな。

1つには近所の短大でフランス語を教えだして、そこで会ったイェール大学で
フランス語を学んだアメリカ人女性。もう1つはタウン紙で見つけたある
ポルトガル人の三行広告。両方ともいまから20年以上前のこと。

アメリカ人講師はYMCAのフランス語講師の口を紹介してくれた。彼女のところに
依頼があったけど、キャシーは忙しかったので。実はそのYMCAの講座は奈良県
職員の研修でもあった。奈良県シルクロード博を翌年に控えていて、
いろんな国の言語に対応する必要があったのかな?

講座は半年で終わって、受講生たちはもう少し勉強を続けたいと思った。
そこで作ったのが旧・奈良フランス語クラブ。フランス語クラブは7年間充実した
活動を続けて、メンバーは奈良日仏協会を作った。

一方、タウン紙で出会ったポルトガル人と語学&ギター教室を一緒に作ろうということ
になって、チラシを知り合い(ギターの生徒の親)に作ってもらってあちこちに配った。
高校時代の友人も常連になっているコーヒー店に置いてもらった。

そのチラシをある書家が見て、息子さんにギターを習わせた。この書家が非常に
顔が広く、僧侶でパリ音楽院に作曲で留学経験のある人を紹介してくれた。

さて、上記の通り、日仏協会を作ろうというときに、そのお坊さんは地元の各界の
大物やお店を紹介してくれた。

奈良日仏協会はその後発展し、僕も今年の5月まで事務局長をつとめた。
posted by hideaki at 18:33| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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