2つあるかな。
1つには近所の短大でフランス語を教えだして、そこで会ったイェール大学で
フランス語を学んだアメリカ人女性。もう1つはタウン紙で見つけたある
ポルトガル人の三行広告。両方ともいまから20年以上前のこと。
アメリカ人講師はYMCAのフランス語講師の口を紹介してくれた。彼女のところに
依頼があったけど、キャシーは忙しかったので。実はそのYMCAの講座は奈良県
職員の研修でもあった。奈良県はシルクロード博を翌年に控えていて、
いろんな国の言語に対応する必要があったのかな?
講座は半年で終わって、受講生たちはもう少し勉強を続けたいと思った。
そこで作ったのが旧・奈良フランス語クラブ。フランス語クラブは7年間充実した
活動を続けて、メンバーは奈良日仏協会を作った。
一方、タウン紙で出会ったポルトガル人と語学&ギター教室を一緒に作ろうということ
になって、チラシを知り合い(ギターの生徒の親)に作ってもらってあちこちに配った。
高校時代の友人も常連になっているコーヒー店に置いてもらった。
そのチラシをある書家が見て、息子さんにギターを習わせた。この書家が非常に
顔が広く、僧侶でパリ音楽院に作曲で留学経験のある人を紹介してくれた。
さて、上記の通り、日仏協会を作ろうというときに、そのお坊さんは地元の各界の
大物やお店を紹介してくれた。
奈良日仏協会はその後発展し、僕も今年の5月まで事務局長をつとめた。